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杉田玄白コーナー

ごあいさつ

杉田玄白コーナー

江戸時代、若狭小浜藩は学問奨励の気風に富み、人材の育成に注力して、多くの優れた儒学者を集め、医学の面でも,優れた藩医を集めました。その中から『解体新書』の翻訳・出版と云う偉業で全国に広く知られている杉田玄白が3代目の藩医として、この地で育ったのでした。

公立小浜病院は、明治16年(1883)に県立小浜病院として発足した県内で2番目に古い自治体病院ですが、平成19年(2007)には「救命救急センター」が設置され、最新の設備を備えた新館が竣工しました。そこで、これを機に、日本の近代医学の先駆者、杉田玄白先生の名前を病院名に冠して顕彰するとともに、その実証主義と進取の精神を受け継いで、地域の皆様の健康の増進を図り、愛され信頼される病院となることを目指して「杉田玄白記念公立小浜病院」と改称いたしました。(平成19年10月1日)。

当院では、新館の一階に「杉田玄白コーナー」を設け関連の品を展示しております。

展示品紹介

解体新書 全5冊
杉田 玄白 訳、中川 淳庵 校ほか 1774(安永3)年

杉田玄白コーナー展示品

外科医であった玄白は、ハイシュテルの外科書を見て西洋の外科のすばらしさを知り、1771(明和8)年には同僚の藩医、中川順庵を通じて、幕府の長崎通訳からオランダの解剖書『ターヘル・アナトミア』を手に入れました。同年、玄白、前野良沢、中川淳庵らは、江戸、小塚原で行われた刑死者の腑分け(人体解剖)を見る機会を得て、この『ターヘル・アナトミア』に描かれている解剖図の正確さに驚き感動しました。彼らは、なんとかこれを翻訳して、世に役立てたいと決心して、早速翌日から、翻訳に取りかかったのでした。オランダ語の辞書もない中、3年にわたる辛苦を重ねて、ようやく玄白42歳の1774(安永3)年に『解体新書』として発刊したのでした。

杉田玄白肖像
石川大浪筆『形影夜話』より 小浜市酒井家文庫 所蔵

杉田玄白玄白コーナー展示品

江戸蘭学界の主流の面々に交情を厚くしていた画家の石川大浪が、玄白の著述『形影夜話』巻頭に絵筆を執りました。玄白七十八歳の時の顔です。

書「醫事不如自然」
八十五翁九幸老人書

杉田玄白コーナー展示品

「医事は自然に如かず」

玄白が85歳の亡くなる年に遺した言葉です。自らの人生を「百たらず八十路に余る五とせの いつも替わらぬ春に逢いにけり」と倦怠の気持ちを詠んだ歌とともに、自分の医道の理念として「医事は自然に如かず」の言葉を残しました。

病気の治療にあたっては、自然に従った治療あるいは療養の仕方以上のものはないというもので、自然界の大きな流れの中で生かされている我々は、自然の治癒力を妨げること無く、生かして行くことこそが最も重要だと言われたのであります。

顕微鏡
1780年 英国ロンドン T・Blunt社製 杉田玄白記念 公立小浜病院 小西淳二名誉院長 寄贈

杉田玄白コーナー展示品

当時、オランダで使われていたカルペパー型顕微鏡

前野良沢の書
第7回『杉田玄白賞』受賞者 医療法人 玄真堂 川嶌整形外科病院 理事長 川嶌 眞人氏寄贈

杉田玄白コーナー展示品

「長寿」

杉田玄白らと共に「ターヘル・アナトミア」の翻訳にあたった前野良沢(1723~1803)が没する直前の書

中川淳庵顕彰薬草園

杉田玄白とともに「解体新書」の翻訳に当たった小浜藩医中川淳庵の功績をたたえる「中川淳庵顕彰薬草園」が2013(平成25)年5月に開園しました。

—>中川淳庵顕彰薬草園